一躍有名女優までに輝いた麻生久美子さんですが、実は下積み時代があり、旧芸名時代には、今となっては黒歴史と言われる過去があります。さらに幼少期の頃は、実家が貧乏で苦労もされていたようです。
現在の麻生さんからは想像がつきませんよね。
そこで今回は、麻生さんの幼少期の頃壮絶な過去や旧芸名時代の黒歴史について調べてみたいと思います。
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第5話、本日、夜11時15分から‼️モモチ vs たかみ〜のアツいバトルをお楽しみに〜❣️#あのときキスしておけば #あのキス#麻生久美子 pic.twitter.com/uxzLCK7RlE
— 麻生久美子mg【公式】 (@aso_manager) May 28, 2021
街灯もないような千葉県の自然に囲まれた田舎で育ち、超自然児だった麻生久美子さん。父親はかなりのギャンブル好きで、麻雀にハマっている時は一晩で20万円以上も使い果たして帰ってきたこともある浪費家でした。
しょっちゅう借金取りが自宅へ押しかけてきており、母親はずっと働きずめで、麻生さんは寂しくて「行かないで!」とドアにしがみついて泣いていたこともあったそうです。
母親はハンバーガー店、花屋、果ては山芋の花やカンナくずで手作りしたリースを、警察の目を避けながら路上で売り『布団の上で寝たことがない』というほど仕事を掛け持ちし、麻生さんと弟を育てていました。
ところが父親は、そんな母親を殴って財布の中のお金を全部もっていってしまい、麻生さんは両親の間に入って『お母さんを殴らないでよ!』といつも母親をかばっていたんだとか。
父親が浪費家で常に家計状況は苦しく、麻生さんは「また同じの着てる。あいつんち、貧乏だからしょうがねよ」と言われ、石などを投げられたこともあり、額にはその時の傷が残っているそうです。
母親は石を投げられたり、道路で押されて、車に轢かれそうになった時には相手の親のところへ行き「叩いても蹴ってもいい。でも、頼むから道路で押さないで。押したら死ぬから。必死に育てた娘の命にかかわることだけはやめて」と言ったそうです。
このお美しい麻生久美子様を目撃するためにぼく駐観るぞい。 pic.twitter.com/xfDzQ9FsCT
— 🅟𝚘𝚗🅒𝚑𝚊𝚗 (@yuzuccoharu502) August 30, 2021
借金があるため生活は苦しく、近くの川で捕まえてきたザリガニを茹でて醤油にてけて食べたり、道端に生えている雑草や木の実を食べていました。
服を買うお金の余裕もなく、学校の体操服を着て登校をしていたそうなので、着るものにも困り、生活は大変だったことが伺えます。
麻生久美子が芸能界に入った理由は?
麻生久美子
今でもテンション上げたい時は、家で踊りまくる子供の頃は
自分は世界一可愛いと思っていて、アイドルになりたいと思っていた
釣ったザリガニを食べていた?らしい
当時の憧れは、西田ひかる#あさイチ pic.twitter.com/j3KUnskKPd— 06Jun2010 (@06Jun2010) June 4, 2015
幼い頃からアイドルが好きで、歌手の「西田ひかるさん」みたいになりたいと憧れを抱いていた麻生さんは、アイドル歌手を目指し現在の事務所に自分で履歴書を送ったそうです。
しかし、麻生さん自ら履歴書を送った事務所は歌手アイドルを募集していませんでした。
1度は断念したものの、それでもアイドル歌手を諦めきれず、事務所から勧められ、1995年に開催された漫画雑誌「週間ヤングジャンプ」の「第6回全国女子高生制服コレクション」のオーディションに参加してみたところ、見事にグランプリを獲得し、芸能界デビューを果たします。
アイドル歌手にはなれなかったものの諦めずに行動する事で、思いもよらぬチャンスが巡って来ました。
そして、同年には俳優の哀川翔さんが監督を務めた映画『BAD GUY BEACH』で映画デビューも果たし、1998年公開の映画『カンゾー先生』のオーディションを受け、こちらも見事に合格しました。
この映画での演技力が高く評価され、『第22回日本アカデミー賞』でなんと新人俳優賞と最優秀助演女優賞、そして『第20回ヨコハマ映画祭』で最優秀新人賞を受賞するなど、ベテラン女優顔負けの数々の有名な賞を勝ち取ったのです。
気温変化や気圧変化に身体がやられている…今の癒しは麻生久美子さん…🥺早く時効警察の三日月君が観たい😭あの役最高。赤影とカンゾー先生の麻生さんも良かったなぁ。寝よ😷 pic.twitter.com/I6pUd2dSpY
— SAITOE (@asas712) September 13, 2019
麻生さんが芸能界で成功しようと頑張れた理由は「母親に楽をして欲しかったから」だと語っていました。大変な幼少期を送っていましたが、逆境を乗り越え成功をつかんだ麻生さんはとても素敵ですね!
麻生久美子の旧芸名時代の黒歴史とは?
引用元:https://64.media.tumblr.com/0cb4ed265d258db70067331e8b824477/tumblr_mqwxrhsHV81rfxymuo1_640.jpg
映画「BAD GUY BEACH」への出演で本格的にデビューした麻生さんですが、実は、この名前以前に「広田絵美」という名前でデビューをしていました。
エキストラを派遣する会社で働いていた時に街中でスカウトされて事務所に入ることになり、グラビアの撮影と言われタイへ撮影に行きました。現地では水着の撮影しましたが、後々雑誌を見てみると「成人向けの雑誌」で写真は使用されてたそうです。
広田絵美という芸名も、事務所が勝手につけた名前だそうで雑誌を見て知ったうえ、年齢も1歳年上に書かれていたんだとか。
成人向け雑誌に掲載をされていたため、麻生さんは昔脱いでいたのでは?という噂がありますが、水着の写真なので脱いではいません。
しかし、当時16歳だった麻生さんにとっては騙された気持ちが強かったでしょうね。
ネット上では黒歴史と言われていますが、このことを麻生さんは隠すこともなく「そんな過去があって、今でも写真がネットに出てくる」と語っています。
過去を包み隠さず話している麻生さんの性格は、カッコいいですね!
麻生久美子にwikiプロフィール
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本名:伊賀 久美子(いが くみこ)
生年月日:1978年6月17日
年齢:46歳
出身地:日本 千葉県
身長:162cm
血液型: B型
配偶者:伊賀 大介(いが だいすけ) (2007年〜)
事務所:ブレス
麻生さんの旦那さんは芸能界では有名なスタイリストの伊賀大介さんという方です。麻生さんが29歳で伊賀さんが30歳の2008年12月28日にご結婚をされました。
伊賀さんは、「MEN’S NON-NO」や「smart」といった人気メンズファッション誌でスタイリングや、小泉今日子さんや椎名林檎さんなどにも衣装スタイリングをしています。
伊賀大介(いが・だいすけ)
1977年西新宿生まれ。96年より熊谷隆志氏に師事後、99年、22才でスタイリストとしての活動開始。雑誌、広告、音楽家、映画、演劇と領域を限らず携わり、文筆業もこなす。スタイリングを手掛けたものに、『ジョゼと虎と魚たち』『モテキ』この方が久美さんのご主人 pic.twitter.com/d4MnLIENQk
— まゆ@こうべ (@Wff6PyDorXf4Win) July 24, 2018
お二人の馴れ初めは、麻生さんが写真集「いろいろないろ」を発売することになり、スタイリングを伊賀さんが担当し、交際に発展したといわれています。
まとめ
麻生さんの幼少期から芸能界に入った経緯や、芸能界に入ってからの経歴についてまとめてみました。
実家は金銭的に大変で、食事や衣類もままならない生活を送っていた子供時代があったとは、現在の透明感ある麻生さんからは想像ができないので驚きました。
しかし昔からアイドル歌手になることを夢見ていた麻生さんは自ら履歴書を送り、芸能界へ飛び込みます。今とは違う芸名がいつの間にか付けられ、麻生さんとしては不本意な仕事をした経歴が残りましたが、包み隠さず話している麻生さんの堂々とした性格は何ともカッコいですね!
現在は人気女優として大活躍している麻生さんですが、生い立ちや経歴を知り、一層好きになりました。
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