K-POPアイドルグループのBTSは、2021年6月13日でデビュー8周年を迎えました。
今や誰もが知る韓国のトップアイドルスターのBTSですが、たくさんの試練や苦悩を乗り越えています。
デビューをしたものの、ヒップホップ界からは馬鹿にされ、アイドルとしても絶対に売れない、すぐに消えるとまで言われていました。
そんな練習生時代の苦悩や、メンバーが練習生になった経緯について、今回はまとめていきたいと思います。
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BTSのメンバーは俳優、ラッパー、音楽制作、歌手、ダンサーとそれぞれ違う夢を持っていた7人が集まったグループです。
そんな7名がなぜBTSになったのでしょうか。
メンバーごとにまとめていきたいと思います。
現在BTSのサブボーカルを担当しているジン。主に高音パートを担当している美声と、甘いルックスが特徴の最年長メンバーです。
ジンは元々俳優志望たったため、練習生となるまでは歌もダンスも未経験でした。
小さい頃から容姿が優れていたジンは、中学生時代に大手事務所のSMエンターテイメントにスカウトされ、1次審査を合格します。
しかし詐欺だと思った為スカウトを断り、その後は周りの学生と同じように生活をしながら高校1年生まで「新聞記者になりたいな。」と漠然と考えていた少年だったそうです。そんなジンに転機を迎えたのは高校2年生の時です。
ドラマ「善徳女王」に出演していたキムナムギルに憧れ、俳優への夢を抱くようになりました。その為、難関といわれる建国大学校映画芸術学部の芸術デザイン学部・映画学科へ入学しました。なんと、当時映画学科の倍率は200倍だったそうです!
入学当初は俳優志望だったジンですが、2011年通学中のバスで、現在の所属事務所BigHitエンターテイメントの関係者にスカウトされ、人生2度目のアイドルオーディションを受けることになります。
俳優を目指しながらも、心のどこかでBigHitエンターテインメントのHIPHOPグループへ入りたいと言う気持ちもあったそうです。
歌もダンスも未経験のジンですが、そのビジュアルの良さで無事オーディションに合格し、BigHitエンターテインメントの練習生となりました。
練習生になってからは、その生まれ持った美貌を生かし、韓国の大手化粧品会社エチュードハウスなどのモデルにも抜擢されました。
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BTSのラップを担当しているSUGAは、多くの楽曲制作に携わっている音楽プロデューサーでもあります。SUGAのラップはとても個性的でカッコよく、BTSの曲の中でも一際目立ちますよね。
SUGAは、BTSのメンバーになる前はラッパーとして活動していました。
当時は故郷の大邱で本名のミン・ユンギを英訳した「Gloss」と言う名前で活動していました。
小学5年生の頃にEPIK HIGHの「FIY」を聴いてHIPHOPに興味を抱き始めます。小学6年生の時に「お前はラップをしてはいけない奴」等の陰口を言われたこともSUGAの心に火がつき、音楽を始めるきっかけになったそうです。
中学生になるとMIDI作業を開始し、地元大邱の音楽スタジオでアルバイトを始めました。そこで作曲や編曲の技術を習得し、録音機材や音響機材などの知識も身につけます。
ソウルの芸術高校に進学を志しますが、家庭があまり裕福ではなかった為、金銭面的な問題でSUGAは諦め、地元の高校に入学します。校歌の編曲をする仕事で、お小遣い稼ぎをしていたそうです。
アンダーグラウンドで活動するものの、当時、音楽のみで収入を得ることは難しく、食費と交通費を払う事も厳しい状況下でした。
しかしSUGAはそこまでしても、大好きな音楽に携わりたいという意思は変わりません。
音楽活動を続けるためには、自分が成功することでアンダーグラウンドで活動する人たちにも良い影響が与えられるのではないかと考え、オーディションを受けることを決意します。
そして見事第1期BigHitオーディションで、参加者の中で唯一、与えられた楽曲に編集を行ったことが評価されて2位に輝き、練習生となりました。SUGAはソウルに上京し、バイトを掛け持ちしながらソウルの狎鴎亭高校に通うことになったのは2010年11月のことです。
デビュー前には、2AMチョグォンのミュージックビデオ 「I’m Da One」に出演していました。
当時BigHitは本格的なヒップホップアイドルグループのデビューを計画していたため、10代のアマチュアラッパーをメインに探していました。そのため、SUGAはオーディションを受けた当時、アイドルグループになることを知らず、軽くリズムを取るだけで大丈夫といわれていたそうです。
パフォーマーというより、作曲家やプロデューサーを目指していたSUGAですが、そんな経緯からBTSメンバーとなりました。
BTSのダンスリーダーを務めるJ-HOPE。
ダンスに対する思いは熱く、そのパフォーマンスは真のプロダンサーです。
そんなJ-HOPがダンスを始めたのは中学生の頃、地元である光州で「Neuron」というダンスチームに所属し「スマイルホヤ」と言う愛称でストリートダンサーをしており、地元ではちょっとした有名人でした。
スマイルは英語で「笑顔」ホヤは韓国語で「若者」と言う意味で当時から笑顔がトレードマークの素敵な男性だったようですね。ストリートダンサー時代は「ポッピン」の中でも「ブーガルー」と呼ばれるジャンルを最も練習していたようです。
そのダンスの実力は様々なダンスバトル大会で優勝するほど!
入所のきっかけは、J-HOPEが通っていたダンススクールでBigHitエンターテインメントの関係者が実施したオーディションです。
休憩の為スタジオを後にした関係者が2〜3時間後に戻った時に、その間もずっと踊り続けていたJ-HOPEを見て成功を確信し、入所が決定したそうです。
しかしその後J-HOPEはデビュー前に、BTS脱退の危機に直面します。
デビュー時にBigHitエンターテイメントがメンバーのラインナップを決める際、J-HOPEはそのラインナップから外されてしまったのです。
それまでずっと一緒に練習生として宿舎で共に生活をし、練習に励んでいた7人ですが、J-HOPEは辛い気持ちをグッと堪え、事務所から言い渡された脱落を受け止め、J-HOPEはメンバーに自ら脱退することを伝えます。
それを聞いたメンバーは、衝撃の発言にジョングクは泣き出し、J-HOPEに抱きつきながら「辞めないでほしい」と訴えます。
ですが、もうすでに心を決めていたJ-HOPEは頑なに拒否し、ジョングクをなだめた後、グループの前から立ち去ってしまいました。
その状況を想像するだけで胸が痛みますよね・・・。
しかしJ-HOPEの脱退を知った直後BTSのリーダーのRMは、事務所のマネジメントに直談判しにいきます。
メンバーにとってどれだけJ-HOPEが必要なのかを説明し、彼をグループに戻してほしいとお願いし続けます。その必死の訴えは事務所の心に届きました。
メンバーの想いが伝わり、J-HOPEも再び練習生に戻ることを決意してくれ、BTSメンバーとなりました。
BTSメンバー同時の深い愛を感じますよね。
BTSでメインラッパーを担当するRM。
長身でモデル並みのスタイルをしている上に、IQが148ととても高く、賢い頼れるリーダーです。
RMは小学6年生の頃、SUGAと同じEPIK HIGYの「Fly」を聞いてヒップホップに興味を持ちました。すっかりこの曲にハマりこんだRMは、何千回と繰り返し聞いたそうで、いつかEPIK HIGYとコラボレーションするのが夢だとよく語っています。
2007年から3年間、自作のラップをヒップホップコミュニティーサイトに投稿し、当時中学生であったにもかかわらず、その実力に多くの注目を浴びていました。
「RunchRanda」という名前で自作のラップをSNSなどに投稿していたのですが、RunchRandaの由来は、ラップを教えてくれた友達としていたゲームの育成キャラクターの名前だそうです。
その後、ヒップホップディオUntouchableのメンバーであるスリーピーを通じ、BigHitエンターテイメントの作曲家であるPdoggさんと知り合い、Pdoggさんから音楽プロデューサーであるパン・シヒョクさんを紹介。そして2010年にオーディションを受け、BTS最初の練習生として入所しました。
ラップに熱中していたRMはダンス未経験。踊るのは今も苦手だそうですが、ステージに立てばダンスが苦手なことを匂わせないくらい、キレキレのダンスでファンを魅了しています。
そこまでになるのに、相当な努力があったと思います。
BTSの高音パートを担当するジミン。
素晴らしい歌声でなく、レベルの高いダンスパフォーマンスでも実力を見せてくれます。
ジミンは中学2年生の頃からポップダンスを始め、その後地元にある釜山の芸術学校舞踊科に進学します。何と、釜山芸術高等学校現代舞踊科に首席で入学しました。元々備わっていた現代舞踊の才能が認められたようです。
学級委員の定義が学習の優秀面、成績の優秀面という中、ジミンは学級委員を9年間も務めていだんだとか!ダンスや歌だけでなく勉学もとてもできていたようです。
ジミンの父親は安定した職業についてほしいと願っていましたが、ダンスの先生がジミンの才能を見抜き、父親を説得させ、オーディションを受けることとなり合格し、練習生となります。
しかしそんな優れた才能を持つジミンは、デビューを逃す危機に直面します。
その理由は、現代舞踊特有の美しいダンスのせいでした。当時のBTSは激しく過激なダンスが多く、現代舞踊的なジミンのダンスは似合わないと言う見解でした。
このような状況の中で、BTSの生みの親パン・シヒョクさんと、当時タッグを組んでいたJYPの創業者パク・ジニョンさんが唯一ジミンに手を差し伸べ、BTSメンバーとしてデビューする事ができました。
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BTSのサブボーカル担当のテテ。
そのセクシーな低音ボイスと、圧倒的な容姿の良さでビジュアル担当も彼の持ち場です。
テテは幼い頃からアーティストを目指しており、その夢を知っていた父親から「歌手になりたいなら楽器が1つでもできないと!」と提案されます。
そして中学時代の3年間サックスを習い、大会で金賞を獲得するほど上達しました。現在のリズム感や音感は当時培われた努力の成果なんですね!
その後、幼い頃の夢であったアーティストを目指し、大邱で行われる公開オーディションに受けようとしますが、両親に反対されてしまい、友人が受けるオーデションを見学だけすることになりました。
しかし帰り道、BigHitエンターテイメントの新人開発チームの人に声をかけられ、なんとか両親の承諾を得てBigHitエンターテイメントの非公開オーディションを受けたところ、見事1人だけ合格!
けれども、デビュー直前までテテは最終兵器として公開されませんでした。その理由は、人間と思えないほど整った顔立ちのせいです。
あまりにも魅力的だったテテが他の事務所へ移籍しないため、デビューするまで隠しておきたかった、とのちに、代表のパン・シヒョクさんからカミングアウトされていました。
ですが、本人は非公開メンバーということで不安や悲しい思いをしてきたと語っています。
認められた人材ということは間違い無いのですが、デビュー前に公開されるメイキング映像や密着映像にテテが出演することはありませんでした。
BTSのメンバーは6人と公開されていたので、本当はメンバーと一緒にいるのに映像に入り込まないよう撮影することもあったそうです。その事からテテは、クビになると不安だったと、語られていました。
デビューショーケースの時には、ホッとしたのか、泣きそうになるのを堪えていました。テテがずっと寂しい思いをしていたことを想像すると、胸が痛くなりますね。
ジミンが気にかけてくれ、テテの後ろ姿をアップしてくれていた事にもクオズ愛を感じます。
ファンサービスでも非公開メンバーだったテテは寂しい想いをしていたことがありましたが、ジンが気を使っていました。
テテは不安でいっぱいだったと思いますが、最終兵器テテは大人気のメンバーとなり、今ではBTSに欠かせない存在です。
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BTSのメインボーカルを務める最年少メンバージョングク。
ボーカルだけではなく、ラップもダンスもできてしまうマンネです。現在センターを務めるジョングクですが、当初はとても人見知りな少年でした。
ジョングクはG-DRAGONの歌を聞いたことをきっかけに歌手の夢を追いかけ、スーパースターK2オーディションでIUの「迷子」を披露しますが、不合格となってしまいます。カメラに慣れていないジョングクは、恥ずかしがり屋の為うまく歌えなかったようです。
しかし、そのオーディションを見ていた7つの企画会社からキャスティングの提案を受けます。
その7つの企画会社とはJYP、CUBE、FNC、スターシップ、Woollim、TS、BigHitです。
ジョングクはBigHitの事務所へ見学へ行った時に、RMが練習する姿を見て「かっこいい!」と思い、BigHitエンターテイメントへ入所を決めました。
デビュー当時は極度の人見知りで、引っ込み思案な性格をしていたので、BTSのメンバーといる時は明るくよく笑う姿を見せますが、他のグループが交わると、目が合い挨拶するもテテの後ろに隠れてしまう、そんな一面を見せることもありました。
そんなジョングクですが、デビュー前BTSの生みの親であるパン・シヒョクさんから「ダンスに感情がこもっていない。何も感じない。」と言われてしまいます。
そしてロサンゼルスにある「MOVEMENT LIFESTYLE」という有名なダンス学院に留学しました。留学先では有名な振付師からパワフルなスタイルや女性ダンサーが踊るスタイル、アーバンスタイル(リズムを感じて踊るスタイル)など多くの技術を学びました。
たった1ヶ月の短期留学でしたが、留学を終えて帰ってきたジョングクは、見違えるようにダンスの腕が上がり、効果は抜群だったようです。
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韓国のアンダーグランドラッパー達は、アイドルが大嫌いでした。
デビュー直後のHIP HOPトークショーにRMとSUGAが参加した時に、ラッパーのビーフリーは、2人をディスります。
「BTSDですよね(PTSD:心的外傷後ストレス障害 にかけて)」
「ヒップホップ番組に来ているのならヒップホップしているんですよね?」
「ヒップホップといっても、同じフィールドではないですね」
「アイドルってなんですか?女装ですか?」
「女みたいな恰好をするのが女装じゃないですか?」
など、聞くに堪えない言葉を投げかけてきます。
しかし、RMとジミンは感情を露にすることなく、相手を尊重し、自分達の夢と目標まで語るという、大人の対応をしました。
これはほんの一例ですが、デビュー当時はヒップホップでもない、アイドルでもないと批判され、名前や衣装をバカにされていたBTSですが、悪態を付いてくる周囲やアンチに対しても毅然とした態度をし、実力で自分達の歌やダンスを証明し、現在はビックスターとなりました。
今回は【BTSのデビュー前】練習生のきっかけと壮絶な努力と苦悩!について詳しくまとめましたが、いかがだったでしょうか?
現在は華々しいBTSですが、メンバーそれぞれ険しい道のりを超えてきた事が伺えます。
実力や才能だけでなく、たくさんの努力があってこそ、今のBTSがあると感じる事ができましたね。
そんな苦悩を乗り越えてきたBTSを、これからも応援せずにはいられません!
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