いつの時代も、最終学歴で自身の将来や価値が決まってしまう場合があります。昔より学歴差別は減ったようにも感じますが、いまだ存在するのです。人として生きる以上、それは芸能人も例外ではありません。アイドルや芸人の方であっても、ただお仕事だけされていれば売れるわけではないようです。
そこで今回は、30歳を過ぎてから大学に入りなおした芸能人について紹介します。
どの方も、お仕事と勉強を両立されたガッツのある方々です!意外な人物もいるかもしれませんので、ぜひ最後までご覧ください。
芸能の世界で働きながら、大学に入りなおした人物を紹介します。
昭和を代表する大スターである松田聖子さん。
当時の松田さんのヘアスタイル「聖子ちゃんカット」が、女の子の間で大流行したほどです。松田さんは、可愛らしい容姿と絶対的な歌の実力を持っており、多くのヒット曲があります。
誰もが知るビッグアイドルの松田さんですが、2020年4月に中央大学の法学部に入学し、2024年3月に卒業しています。
松田さんが選択したのは、通信教育課程。
ただ、通信教育といっても、通学過程と同等レベルの課題があり、対面授業もあったようです。対面の際は変装をして、松田聖子だとわからないように通学していたんだそう。
中央大学の通信課程で無事に卒業できるのは全体の20%ほどだそうですが、中でも4年のストレートで卒業できる人は7~8%ほどしかいないと言われています。
時間が限られている芸能人だからこそ、4年での卒業を意識できるのかもしれませんね。
相川七瀬さんは、歌手を目指して中学3年生までの間に複数回オーディションを受けますが、結果は不合格。中学3年生の時、最後のオーディションも不合格だったことで夢をあきらめ、高校に進学します。
しかしその後、最後のオーディションで審査員だった織田哲郎氏からアプローチを受けます。一度は断りますが、再び歌手を目指して高校を中退。その後、上京しました。
そういった経緯から相川さんの最終学歴は中学校卒業でしたが、留学していた長男が、2016年に高卒認定試験を受けたことをきっかけに、自身も勉強して2018年に高卒認定試験に合格します。
その後、以前から科目履修生として通学していた國學院大學神道文化学部を2020年に受験し、合格。2024年3月に卒業後、現在は大学院に進学しています。
大人になっても学び続ける相川さんを、家族も応援してくれているようですよ!
スザンヌさんは、地元の熊本県でスカウトされ、14歳からタレント活動をスタートさせています。
可愛らしい容姿でCMなどにも出演していましたが、学力面は不十分でした。普通高校への進学が難しかったため、芸能コースがある福岡市内の高校に進学しています。
その後、高校2年生の年に、高校を中退して本格的な芸能活動を開始。福岡にある芸能事務所にも所属しました。数々のローカル番組に出演したのち、2016年に上京して現事務所に移籍しています。
上京後はバラエティ番組での珍解答がきっかけで、おバカキャラとして注目されました。
そんなスザンヌさんは、2021年4月から第一薬科大学付属高等学校の通信制に入学。この学校はスザンヌさんが中退してしまった高校です。2022年3月に無事に卒業し、4月からは日本経済大学に入学しました。
現在シングルマザーとして子育てをしながらお仕事をしているスザンヌさん。それに加えて大学での勉強や課題があり、かなりハードな日々でしょう。
体を壊さないように気を付けながら、ぜひストレートで卒業してほしいですね。
小さいころから音楽に触れてきたつるのさんは、かなり早い時期から芸能界に興味を持ちます。高校2年生の頃に東京宝永に入団し、演技に携わるようになりました。
その後、1994年に出演した「青春の影」がきっかけで河相我聞さんと意気投合し、河相さんのラジオ番組などに出演。ラジオを聞いた関係者から現事務所を紹介され、太田プロダクションに所属することとなりました。以降、「ウルトラマンダイナ」の主演やラジオパーソナリティなど、活躍の場を大きく広げていきます。
転機となったのは、スザンヌさんも出演していた「クイズ!ヘキサゴンⅡ」です。
珍解答がきっかけで、おバカタレントとして人気を博しました。
つるのさんは、2022年3月に小田原短期大学の通信教育課程を卒業しています。
在学中に幼稚園教諭免許を取得していて、卒業後の2022年12月に保育士試験にも合格しました。
大家族のイクメンパパとして人気のつるのさんは、ベストファーザー賞や育児番組への出演など、数々の場面で子育てについて発信しています。すでに育児を経験しているのにも関わらず、新たに学ぼうとする姿勢は、パパとしても人としても素晴らしいですよね!
萩本さんは高校卒業後、浅草にある東洋劇場に入団し、コメディアンを志しました。
当時は極度のあがり症で、セリフが出てこないこともあったようですが、早朝の自主練習や先輩の指導のおかげでコメディアンを続けていくことができたそうです。
東洋劇場を退団後は複数のコントグループを経験し、「劇場浅草新喜劇」を旗揚げします。
このころ、浅井良二氏(浅井企画創業者)や向井爽也氏(元TBSディレクター)らと出会い、タレント活動をスタートさせました。
浅草新喜劇の解散後、熱海のホテルで営業をしていた萩原さんは、坂上二郎氏(のちの相方)の誘いで再会し、自身が考案したコントを紹介します。コントの内容を聞いた坂上さんから「一緒にやったほうがいい」と言われたことがきっかけで、【コント55号】が誕生しました。
1970年以降はコンビでの活動はほぼありませんでしたが、2011年に坂上さんが脳梗塞でこの世を去るまで、解散宣言は一切ありません。コンビの仕事がない間も個人で活動を続けていて、数々のバラエティ番組で高視聴率をたたき出し、「視聴率100%の男」との異名があります。
コメディアンの他にも、司会業やナレーターとして幅広く活躍していました。TVだけでなく、野球チームの結成や監督業も経験しています。
そんな萩本さんですが、2015年4月に駒澤大学仏教学部に入学しました。
萩本さんが大学に入学したのは、認知症対策のために始めた勉強の成果を確認するためです。大学の授業は楽しく、年の離れた友人もできて、学生生活はとても充実していたんだそう。
しかし78歳という高齢のため、80歳までの残りの時間はお笑いと向き合いたい!との気持ちから、2019年に自主退学しています。結果的には中退ですが、在学中は1日も休まず通学したそうです。
中退の決断をするのは、とても勇気のいることだったでしょうね。
最後に紹介するのは、実業家や研究者としても活躍しているタレントのいとうまい子さんです。
いとうさんは他の方々と異なり、高校卒業後は大学に入学しています。芸能活動と並行するつもりでしたが、お仕事が多忙になり、やむなく中退されました。
デビュー後はアイドル歌手や女優として活動し、「不作の83年組」と言われていた同期デビュー組の中では、抜群の知名度を誇ります。その後、2000年ごろからバラエティ番組への出演が増えてきます。クイズ番組にも数多く出演しており、高学歴タレントのイメージを持つ方も多いでしょう。
そんないとうさんは、2010年に早稲田大学人間科学部eスクールに入学しています。
いとうさんが大学入学を決めたのは周囲への恩返しが目的だったそうですが、その後大学院に進学して「予防医学」のためのロボットを開発しました。さらに、博士課程で基礎老化学への領域替えを行って、高齢社会に対する課題解決に向けて研究されています。
現在はタレント業の傍ら、ベンチャー企業のフェローに就任して研究者として活動し、自身が設立した制作会社の代表や上場企業の社外取締役など、幅広く活躍されています。
目標をもって行動されているいとうさんは、とても輝いて見えますね!
いかがでしたでしょうか?
今回は30歳以降に大学入学した芸能人を紹介しました!
30代というと、自身の今後に向き合うちょうど良い年齢です。若いころ、がむしゃらに前だけを見て芸能界を生きてきた方々にとって、大学という学びの場はとても貴重なものなのかもしれません。
お仕事を続けながらの学校生活は色々と苦労がありそうですが、やり残したことに全力で取り組める環境はとても素敵ですね!今後の活躍にも注目していきたいと思います。