【パク・ヨンハ】親日家で韓国で嫌われていた?亡くなった真相や葬儀についても

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パク・ヨンハさんと言えば、皆さんはどのような印象がありますか。

優しそうな笑顔、甘い歌声で多くの女性ファンを魅了した俳優さんですね。

残念ながら2010年6月30日に32歳という若さでこの世を去り、このニュースが報道された当時は衝撃と深い悲しみに包まれました。

今回はそんなパク・ヨンハさんについて紹介していきます。

【パク・ヨンハ】親日家で韓国で嫌われていた?亡くなった真相や葬儀についても
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パク・ヨンハはどんな人?

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1994年高校生の時に俳優としてデビュー、2002年、日本でも社会現象となったドラマ「冬のソナタ」でペ・ヨンジュンさんの恋敵キム・サンヒョク役を演じ、主人公を一途に思うも振り向いてもらえないもどかしさや、それでも健気に主人公を支える姿に心惹かれた方も多いのではないでしょうか。

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また覆面歌手「Y」として歌手の道にも進出。ドラマ「オールイン運命の愛」の主題歌になった「初めて出逢った日のように」が大ヒットとなりたくさんの音楽番組でこの歌を披露しました。

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しかし「パクヨンハは口パクなのでは?」という疑惑があがり、これについて日本のバラエティー番組「SmaSTATION」に出演した時に「一度だけあります。」とあっさり口パクをしたことを認めました。

そういったことも素直に話してくれるパク・ヨンハさんにとても親近感が湧きますね。

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他にもバラエティー番組や音楽番組のMC、一時は芸能生活から距離を置き、カーレーサーとしての活動もしたりと、様々な分野で才能を発揮していました。

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親日家で母国で嫌われていた?

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ドラマ「冬のソナタ」が火付け役となり日本での人気も高く、日本での活動が多くなり、パク・ヨンハさんは親日家では?という声も多くなっていきました。

韓国と日本は歴史的な背景からみても、いまだに傷の癒えない辛い思いを経験したという方々の声も多く、反日の感情が根強くあります。

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現在は多くの韓流アイドルが日本に来て、コンサートや握手会をするなどの活動をしていますが、パク・ヨンハさんが日本で多くの活動をしていた頃は、今よりも反日文化が強かったかもしれません。

実際に母国で嫌われていたのかは分かっていませんが、韓国での仕事は次第に減っていったといいます。

マネージャーとの関係は?

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パク・ヨンハさんは長年連れ添った元マネージャーをとても信頼していました。
けれども何と、信頼していたマネージャーにお金を使い込まれてしまうなど、金銭面でのトラブルが原因で関係を断ったことがありました。

またこの元マネージャーはパク・ヨンハさんが亡くなった後も、パク・ヨンハさん名義の預金を引き出そうとしたり、パク・ヨンハさんの所属事務所から写真集などを盗むなど、許し難い行為をしていました。

その後、会社の法人印鑑を盗み、後輩マネージャーと共にタイへ逃亡。

そのような事件があってから約一年後、なんとその元マネージャーはあるアイドルグループのマネージャーとして働き始めていたという事実が韓国の番組で放送されました。

遺族の皆様からすればこのようなことは受け入れ難い事実です。更に元マネージャーは「遺族にいじめられた」と主張し、その後遺族たちは2011年に検察に陳述書を提出し、2013年にはそのマネージャーの裁判が行われたそうです。

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裁判では過去に起こした事件についても「パク・ヨンハさんの預金をおろす権利が自分にはある。パク・ヨンハさんの写真集やアルバムは懐かしくて持って行っただけ」などと主張し世間を驚かせました。

結局、2014年の1月に元マネージャーは芸能界から完全に姿を消し、韓国芸能マネジメント協会が、採用禁止決定を議決しまし、今後エンターテイメントの世界に戻ってくるということはなくなりました。

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亡くなった後も元マネージャーが引き起こした事件でパク・ヨンハさんの名前が出てしまうのはとても悲しいことです。

亡くなった原因は?

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パク・ヨンハさんが亡くなられた原因は様々だと言われています。

はっきりした理由は分かりませんが、親日家というレッテルを貼られたことで、韓国での仕事が減った事や、元マネージャーとの関係悪化、個人事務所の設立や飲食業界へも進出したものの、経営は難航していたことによるストレスが考えられます。

さらにこの時期に、パク・ヨンハさんのお父様が末期の胃がんに冒されており、看病をしていたことに加え、医療費を支払っていたそうです。
度重なる精神的重圧がパク・ヨンハさんの心に重くのしかかり、自ら命を断つ結果となってしまったのではないかと言われています。

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現在も若い韓流アイドルが突然この世を去るという悲しいニュースが飛び込んでくることがありますが、そのたびにパク・ヨンハさんを思い出します。
このような事件が起こらないことを祈るばかりです。

葬儀について

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葬儀は2010年7月2日午前6時に執り行われ、生前交友のあった俳優仲間や、日本からも多くのファンが訪れ、悲しみの悲鳴に包まれました。

なかでも下積み時代から苦楽を共にした俳優ソ・ジソプさんは喪主変わりをして、涙を流しながらもパク・ヨンハさんのお母様に「お母さん、ヨンハは独りで逝ってしまったのではありません。…これからは私が息子です」と励ましの声をかけました。

ソ・ジソプさんとパク・ヨンハさんは、1998年に行われたアンドレ・キムのファッションショーで出会いました。
共に1977年生まれで同い年ということもあり意気投合し、少し内気だったソ・ジソプさんにパク・ヨンハさんから声をかけたんだそう。

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次第に仲を深めていき、一時は同じ屋根の下で暮らしながらお金のない2人は、一杯のインスタントラーメンを分け合って食べるというエピソードはファンの間では有名ですよね。
互いに俳優という道を歩む同志として切磋琢磨し、高め合うことで本当の親友の絆が生まれました。

そんな親友との突然の別れにソ・ジソプさんは全ての仕事をキャンセルして葬儀に向かいました。

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またパク・ヨンハさんのご家族には内緒で、葬儀の費用を全額支払ったというエピソードもあり、パク・ヨンハさんとはただ仲の良い友人ではなく、家族同然の存在であったことが分かります。

まとめ

いかがでしたか?

多くの苦労を重ねる中、志半ばで自身の人生にピリオドを打ったパク・ヨンハさん。

いまだに私たちの中に残るあの穏やかな表情で、優しく語りかけてくれるのではないかと思うほどその記憶はまだ真新しく新鮮です。

2023年現在で13年という月日が経っても、生前パク・ヨンハさんが届けてくれたたくさんの愛や作品を私たちは決して忘れることはないでしょう。



 

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