何度も怪我に苦しみながらも10秒の壁を超え、100m自己ベストは日本新記録の9秒95という記録保持者である、山縣亮太選手。
リオデジャネイロ五輪では男子4×100mリレーの第一走者として走り抜き、銀メダル獲得に貢献、個人では、五輪における日本選手史上最速を記録したことで日本に感動を与えてくれた選手ですね。
今回は東京オリンピックにも出場する山縣選手の家族についてや、未熟児で誕生した山縣選手が陸上を始めて現在に至るまでの経歴についてご紹介したいと思います。
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1992年6月10日、広島県広島市で山縣選手は誕生しました。
予定よりも2か月早く誕生したため、出生時の体重が1730gでした。平均体重が男の子が3004g、女の子が2960gと言われているので、いかに小さかったかが分かると思います。※年度によって異なります。
未熟児で誕生すると低体重というだけでなく、内蔵機能が未熟のため危険な状態となり、山縣選手は2ヵ月間新生児特定集中治療室(NICU)で過ごします。
当時の写真を見ると、肺の機能が万全ではなく、体にはチューブが通されていました。
父親の浩一さんは日記を28年間書き続けており、山縣選手が誕生した時の胸中が残されています。NICUで我が子を見守るご両親にとって、心身ともに辛い時期だったことでしょう。
しかしすくすくと元気に大きくなり、日本新記録を樹立したというのは、多くの人に元気と勇気を与えたのではないでしょうか!
山縣選手は現在独身です。
しかし、陸上の福島千里さんと噂になっており、結婚するのでは?とも言われています。
2人は同じセイコー陸上部の短距離選手なので、様々な大会やイベントでも共演しています。福島選手は100m、200mの日本記録保持者でスター選手。どちらも日本記録保持者ですし、健康やメンタル面、競技についても分かち合え、とてもお似合いだなと思います。
今後、結婚などのおめでたい報告があるのでしょうか。
というわけで、山縣選手の家族構成は
となり、山縣選手は4人家族の次男です。
父親の浩一さんは、広島県でスポーツ用品店「スポーツのニシヒロ」を経営しています。お店は学校で使用するスポーツ用品、サッカー用品を多く取扱っており、サッカーチームの「サンフレッチェ広島」が主要取引先であり、同チームの株主でもあります。
父親の浩一さんは、子育てをするときに気をつけていたことがあるそうです。それは、『誉め続けること』。勉強面で怒ることはあっても、陸上に関しては怒らずに、褒めることで記録を伸ばしたんだとか。
現在の親子関係も良いので、山縣選手が辛い時や苦しい時には一緒に釣りに行って気分転換をするそうです。
母親の美津江さんは父親の浩一さんよりも3歳上になります。
2015年4月、山縣選手は慶應義塾大学を卒業し、大手会社・セイコーホールディングスに入社しました。そして初任給の使い道について質問された時に「給料をもらったらまず親に何か買ってあげたいなと思います。気持ちを表せるもので。母親が梅酒が好きなので梅酒を買ってあげようかな」
と答えているので、母親との関係もとてもいいようですね。
2016年のリオデジャネイロ五輪の代表内定が決定した時、山縣選手は、「両親がいなければここまで陸上を続けてこれなかった」とコメントをし、それに対し美津江さんは、「こんなに恵まれた母は世界中を探してもいないと思います」と、答えていました。
とても素敵な親子関係ですよね。
引用元:wp2019.jp
山縣選手は2人兄弟で、2歳年上の兄・昌平さんがいらっしゃいます。昌平さんがきっかけで山縣選手が陸上を始めたので、次の項目で詳しくお伝えします。
引用元:non-stopadventure.com
山縣選手が陸上を始めたきっかけは、2才年上のお兄さんだそうです。
山縣選手が小学校3年生の時に、お兄さんが広島市の陸上の大会で入賞して大きな賞状をもらって帰ってきます。
それを目にした山縣選手は、凄いな!羨ましいな!と思ったそうです。そして「来年その大会に出る!」と決意を決めて翌年に出場し、なんと、2位を大きく引き離してのぶっちぎりで優勝をしました。
しかも、他の選手がスパイクなのに対し、山縣選手はスニーカーで出場をし、賞状どころか、メダルももらったのです。この大会で山縣選手は陸上関係者の目に留まりスカウトをされ、本格的に陸上を始めることになります。
きっかけとなったお兄さんの現在はわかりませんでしたが、兄弟そろって足が速かったんですね!
小学校を卒業後は、私立の中高一貫校の修道中学・高校へ進学します。なんとこの学校の偏差値は中学校は63、高校は70の広島県有数の進学校です。陸上競技と並行しながら学習塾に通い、親の勧めもあって中学受験をして入学しました。
引用元:https://www.minkou.jp/hischool/school/2320/
中学時代から全国大会に出場し、高校2年生時には世界ユース選手権4位入賞するなど、陸上に打ち込みながらもそれを言い訳にせず、勉強を疎かにしていなかったそうです。生徒数が300人いる中、成績は50番以内に入っていたとか。
修道高校時代は広島県高校総体100m3連覇をはじめ国体少年B100m、中国高校総体100mなど、数々の大会で優勝をします。特に高校3年時は200mやリレーなどの優勝も含め、広島県高校総体・中国高校総体では4冠という成績を残しました。
また、高校2年生の時に出場した世界ユースでは100mで4位、メドレーリレーでは銅メダルを獲得をします。高校を卒業後は、慶應義塾大学総合政策学部へ進学し、2011年国体3位、2012年織田記念1位、2012年日本選手権3位などの好成績を出しました。
名前:山縣 亮太(やまがた りょうた)
生年月日:1992年6月10日
年齢:32歳
身長:177cm
出身地:広島県広島市西区鈴が峰町
出身校:慶応義塾大学
所属:セイコーホールディングス
twitter:https://twitter.com/V7Jqq
Instagram:https://www.instagram.com/y.ryo34/?utm_source=ig_embed&ig_rid=2f79949f-c81e-476f-b7fe-35565bb08702
【自己ベスト】
100m:9.95(2021.6 布勢スプリント)
200m:20.41(2013.5 関東インカレ)
【主な代表歴】
オリンピック(20東京、16リオ、12ロンドン)
世界選手権(13モスクワ)
アジア大会(18ジャカルタ、14仁川)
小さい頃から運動神経がよくて足が速く、「小学校一年生の時、子犬と遊んでいたら怒った母犬が追いかけてきて、犬より早く走って逃げた」「中学生の頃には車と競争していた」というエピソードがあります。
小学生の頃は陸上の他に野球もしていましたが、徐々に陸上競技1本となります。2021年には100m走を日本新記録の9秒95秒を打ち出し、東京オリンピックでメダルが取れるのでは?と注目を集めています。
未熟児として生まれた山縣亮太選手ですが、現在は日本新記録を樹立する陸上のスター選手となりました。
「もう無理だ」と思ったこともあったそうですが、ずっと見守り、サポートしてきた家族に対する感謝の気持ちなどが原動力になった事と思います。
山縣選手の活躍は、未熟児として生まれたお子さんを持つ親や子供達の希望となっていることでしょう。
東京オリンピック2020では、家族の前でメダル獲得!となるのでしょうか。応援せずにはいられませんね!
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